活動紹介

2017年08月23日

【報告書1】2017平和行動in長崎

富士電機労働組合 千葉支部

【報告書1】2017平和行動in長崎

{日程}2017年8月7日(月)~9日(水)
{組織}富士電機労働組合 千葉支部より、1名
{内容}
 第1日目 8月7日(月)
 ・原爆養護ホーム「めぐみの丘」・懇親会
  http://www.junshin-seibo.or.jp/publics/index/63/0/
 第2日目 8月8日(火)
 ・学習会(被爆者体験講和)
 ・原爆資料館・原爆爆心地
  http://nagasakipeace.jp/japanese/map/zone_inori/genbaku_rakka_hi.html
 ・平和祈念公園見学
  http://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/630000/632000/p005153.html
 ・三菱重工資料館見学
  http://www.mhi.co.jp/company/facilities/history/
 ・連合集会
  http://rengo-nagasaki.jp/
 第3日目 8月9日(水)
 ・三菱電機慰霊祭「原爆犠牲者慰霊式典」
  http://jeiu2.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-8e72.html
 ・長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
  http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p002242.html

{報告}
○第1日目 8月7日(月)
・原爆養護ホーム「めぐみの丘」・懇親会
 めぐみの丘は、当時被爆された方々の養護施設で、
 原爆被害にあわれた342名の方々が入所、1590名の
 方が亡くなられている施設です。
 訪問当日は、入所者の方々から、歓迎の歌や手作
 りのお人形を頂戴し、電機連合からは見舞金の贈
 呈を行いました。
 施設見学では、シスターから、当時の状況につい
 て講和を頂き、施設長の方に案内を頂きました。
 当時、めぐみの丘がある場所は純心女学園の疎開
 地となっており、20名の生徒とシスター達が松脂
 採集を行っていたそうです。残りの200名以上の生
 徒は学徒動員として市街地の工場におり、原爆投
 下によりお亡くなりになられたそうです。
 原爆当日も作業をしていると、爆風の後に降って
 きた黒い雨と一緒に学徒動員の名簿の切れ端が降
 ってきて市街地で何かあった事に気付かれたそう
 です。その後、長崎市内へ駆けつけた時には、全
 身に火傷を負い無表情で歩く人、子供を抱きかか
 えながら亡くなられている母親等、悲惨な状況だ
 ったそうです。
 施設に入所されている入所者の方々の顔はとても
 優しい顔をされており、笑顔で挨拶もして頂きま
 した。また、施設内には平和に対する思いや祈り
 が込められた入所者の作品が数多く展示されてお
 り、過去の辛い経験で学ばれた事をしっかりと後
 世に繋げる活動をされているのだと感銘を受ける
 と同時に、平和に対する意識の薄さに反省しました。

○第2日目 8月8日(火)
・学習会(被爆者体験講和)
 当時15歳で爆心地から2.3キロほど離れた場所で
 被爆された方の体験を講和頂きました。講和で
 は当日の原爆投下直前までの普段の生活を語っ
 て頂きながら、原爆投下後の悲惨な状況をお伝
 え頂きました。
 原爆当日はとても暑い夏の日で、家の前の川で
 はご兄弟と近所の子供たちが川遊びをしており、
 ご本人は、新聞配達の青年の変わりにご近所へ
 新聞を届けた後の帰宅途中に被爆されたそうです。
 その時、たまたま大きな岩の影におり大きな外
 傷は無かったそうですが、原爆が発する熱は言
 葉では表すことの出来ないような体験だったと
 の事です。自宅に戻ると、自宅は爆風によって
 崩れ、跡形も無くなってしまっていたそうです。
 その後、叔母と母は無事でしたが、川で遊んで
 いた兄が戻ってくると、背中の皮が剥がれ落ち
 3日後にお亡くなりになられたそうです。市街
 地では、腸が飛び出た状態で歩く人、目玉が飛
 び出し死んでいる人、水を求め重なり亡くなっ
 ている人が大勢いたそうです。
 私が講和の中で特に印象に残った事は、
 『人が死んでいても何も感じなかった』という
 言葉でした。
 人は置かれている環境によって考えや感覚が簡
 単に変わってしまう。だからこそ、戦争の悲惨
 さや原爆の恐ろしさを許される限り伝え環境を
 変えていきたいとおっしゃっていました。

・原爆資料館・原爆爆心地
・平和祈念公園見学
・三菱重工資料館見学
 原爆資料館では当時の写真や原爆の映像・被爆
 者の手記等が展示されており、原爆の恐ろしさ
 や戦争で残されるものは何もない事を痛感しま
 した。
 高校生の頃に訪れてから家族を持ち見る資料の
 数々は見え方が全く異なっていました。
 原爆爆心地では、当時の地層を見る事が出来る
 場所もあり、割れたお皿や金属片・熱で泡状に
 なった瓦等が確認出来、復興した町の下に当時
 の状況が未だ残されている事に驚きました。
 大変な犠牲の上に、今の私たちがいるのだと再
 確認しました。
 平和記念公園では、長崎の平和像と水を求めて
 亡くなられた方々を弔うための平和の泉を見学
 させて頂きました。

・連合集会
 連合2017平和ナガサキ集会には2000人を超える
 連合の仲間や学生が集まりました。集会では、
 連合長崎会長 森 光一氏の挨拶からはじまり、
 黙祷、各来賓からの挨拶、被爆者の訴え、若者
 からのメッセージ、平和アピールの後に、集会
 に集まった参加者達による合唱を行いました。
 この集会で多く語られていた事は、本年7月7日
 に国連で採択された「核兵器禁止条約」と核兵
 器の政治利用についてでした。広島・長崎が現
 在まで取り組んできた重要な役割が国際社会に
 認められた証しであるが、核兵器保有国やアメ
 リカの「核の傘」に依存する国々と唯一の戦争
 被爆国である日本が反対している事に対し、強
 く行動を求めていきたいとの事でした。
 この集会を通じ、広島・長崎の被爆者の方々の
 取組みを再確認すると共に、その活動が次世代
 の若者達に継承されている事を、多くの仲間た
 ちに伝えていきたいと感じました。
 そして、組合活動を行う一人として、また、有
 権者の一人として平和のための行動を強く考え
 るべきだと思います。

○第3日目 8月9日(水)
・三菱電機慰霊祭「原爆犠牲者慰霊式典」
 三菱電機慰霊祭に参加させて頂きました。
 慰霊祭の前には、原爆当日被爆された三菱電機
 OBの方から、当時の状況や現在の活動について
 講和を頂きました。講和では、終戦から時がた
 ち語り部として活動出来る方々が減ってきてい
 ることもあり、当時の資料や映像を各国に配り
 伝えたいとおっしゃていました。
 
○所感(全体を通して)
 平和行動の3日間を通じ、自分が出来ることは
 なんだろうかと考えながら、現地視察や語り部
 の方々のお話を聞かせて頂きました。
 まだまだ多くの被爆被害に苦しむ方々や、語り
 部の減少による後世への伝え方など、終戦から
 72年たった今でも課題が多く残されているのだ
 と感じました。
 個人が出来る事は小さな行動しか出来ませんが、
 一人一人が平和を望む意識をしっかりと築く事
 が、私たちが出来る一番重要な事なのではと思
 います。

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